
2012年5月21日
記憶
なかなか奥ゆかしい初夏ですね・・
先週は朝晩、石油ファンヒーターをたいてしまいました。
このファンヒーター。今シーズン持ちこたえてくれたことを感謝しなければならないご老体です。(洗濯機も引っ越しまでどうか動いてくれますように!)
来月完成する自宅が出来るまでのストーリーを、はしょりにはしょってお伝えする第2回目。今回は8年間をまとめてお話しします。
私は学校を出てからずっと、ピアノや電子オルガンを教える仕事をしています。結婚するまでは2~3歳児のグループレッスン(幼児のリトミックコース)などもしていました。
たまたま2004年頃から、主人の手伝いでお客さんのお子さんと遊んだり、法務局や合同庁舎におつかいに行ったりするようになり・・・
それが次第に、バスツアーに同行したりお客さんを案内したりするようになり、情報マガジンという名のニュースレターを作成したりと、だんだん仕事が増えていきました。
この写真は2007年の伐採ツアーの時、夢ハウスの総合パンフレットの表紙にのっている台杉(北山杉ともいう)の前で撮りました。
店長川合もいるのが分かりますでしょうか。
このころには、パートという立場ではありましたが、今とあまり変わらない業務内容で夢ハウスをお客様に提供するお手伝いをするようになっていました。
そして2009年正月。
「そろそろ家で自分の仕事だけしてもいい?」・・・という私の申し出に主人も同意してくれたので、私は晴れて本業に力を入れられる環境に感謝していました。
4月。主人は川合と共に、夢ハウス社員となりました。(これまでは夢ハウスパートナーとして別の会社に在籍していましたが、長くなるのでここでは詳しくは触れません)
夢ハウスでは主人の入社と同時に、松本モデルハウスの建設計画がスタートし、秋のオープンに向けて急ピッチで建設されていました。
お客さんや社内の期待も高まる中、建設に携わる職人さんたちとスタッフである主人・常務・新人の社員・現店長の川合。全員が勢力を結集したモデルハウス。
それが夢ハウス松本展示場なのです。
2009年11月28日。主人から来たメールのタイトルは「来て!きて!」
完成したモデルハウスの1階の露天風呂に入りにおいでよ。という内容でした。
娘と二人であわてて展示場に来てみると、子供のように楽しそうな(結構いつもそうですが)主人がニコニコ顔で迎えてくれました。そして主人と当時6年生だった娘は露天風呂に入り。心も体もほっかほか。
12月。休みもなく毎日深夜までみんなで働いていたある日。めずらしく少し早めに(9時ごろ)帰宅した主人は、久しぶりに家族の夕食に間に合いました。
手には五一ワインの赤の一升瓶を持ってご機嫌です。
右の写真。今は撤去されましたが、出来たばかりの展示場に掲げられた木製の看板です。
この看板があがり、本当に展示場が完成したことを、ワインで祝いたかったのかな。
食事が終わり、ワインもたくさん頂きました。10時過ぎになって「りんごが食べたいなあ」という主人に、主人の実家から届いたリンゴをむいている最中でした。娘の見ている目の前で、主人が突然倒れたのです。
救急車がすぐに来ました。そしてすぐに信大病院に搬送されました。でも、そのまま意識は戻ることなく駆けつけた家族たちが見守る中、静かに息をひきとりました。
2009年12月9日。主人は44歳です。
そんなことってあるんだ・・
病院では、自然死。寿命です。と言われ、病名もありませんでした。 つづく